神戸瓦せんべいの歴史

神戸の名産品として親しまれている瓦せんべい。四角く瓦を模した形の上には、勇ましい武士の絵。かりっと噛めばさっくりと口の中に砕け、ほのかな甘みが広がります。一般的な辛口せんべいとは異なるおもむきで、いわゆる洋風おせんべい。和風せんべいの多くがお米の粉を原料にしているのに対し、瓦せんべいは、小麦と卵、砂糖で作られます。これは神戸の来歴に深く関わっています。

昭和20年代の瓦せんべい製造風景

1868年12月7日、日本の開国によって神戸港が外国との通商要所として開港されました。神戸の地に外国人用の居留地が建設され、長い鎖国状態から一転、海外の文化が流れ込むようになります。それまで一般庶民には馴染みの少なかった卵、牛乳、牛肉、小麦といった物資が、外国人向けに神戸へ集まるようになりました。そうした中、他の地域ではまだ入手の難しかったそれらの材料をふんだんに使用した新しいお菓子、瓦せんべいが考案されました。洋菓子風の斬新な味わいは、「贅沢せんべい」「ハイカラせんべい」と呼ばれ、人気を博します。洋菓子の街・神戸における和風洋菓子の先駆けと言えるでしょう。

 

昭和30年代の瓦せんべい製造風景

明治5年である1872年5月24日、幕末から明治政府に移り変わった当時の気運に乗って、湊川神社(神戸市中央区)が創建されました。楠木正成公が祀られた神社には多くの参拝客が訪れるようになり、さらに明治7年には鉄道が開通し、神戸駅から湊川神社の通りは旅館や土産物店が立ち並ぶ商店街となって大いに栄えます。お土産物として売られた瓦せんべいには、楠木正成公の武者姿と、その家紋である菊水の紋が焼き入れされ、その美味しさと珍しさから、遠方にまで神戸の新しい名産品として広く知られるようになりました。当時、「店頭高く掲げられた巨大な看板を楠公事蹟の顕彰と思ってよく見れば、それは全て煎餅屋の看板だった」という話も残されています。

 

瓦の形を模した由来には諸説ありますが、「堅く、家を守る」象徴の瓦に、「忠臣の鏡」として称えられてきた楠公さんの姿が描かれている瓦せんべいは、その美味しさだけでなく、縁起の良いお遣い物としても喜ばれています。

私たち神戸煎餅協会は、伝統の味を今に伝え、お客様に喜ばれる品質をお届けするために、これからも日々努めてまいります。